『鬼の子』一幕二場

その夜、少女は弟を背負って山を下った。いつ村に男たちが死んだとの報せが届くかわからない。いつ村から激怒した女たちが追ってくるかわからない。背中ですうすう寝息を立てる弟をいつ危険にさらすかわからない。

街道にはすぐに出ることができた。南に下ると街があることは少女も知っていた。


まずは食い扶持であった。幼い弟にはすぐに十分な食べ物が必要だった。そこで、村で耳にしたことのある、街道を流す按摩たちを探すことにした。按摩であれば自分の異様な容姿を見咎められることもないだろうし、身寄りのない自分達を哀れがってくれるかもしれないだろうと思ったからだ。


街道は広く、整備されていて、そこそこの人が往来していた。後で知ったがそこは隣の国に繋がる主要な街道で、様々な物や人が行き来する場所であった。ぼろをまとった子ども二人は物珍しいのか、人々は遠慮なしにじろじろと眺めていった。


清洲が歩き疲れてぐずり始め、少女も人々のぶしつけな視線にいたたまれなくなり街道を外れようとした時である。

「や、そこな吾子(あこ)ら、こんな時分にこんなところでどうしたね」

法衣をまとった五、六人の男衆が声をかけてきたのだ。警戒して答えないでいると、この先の寺の者だから困ったら来なさい、とにこやかに言って去っていった。


清洲はしきりにお寺に行こうと言って聞かなかったし、少女も寝ずに山を駆けた疲れがどっと出てきたため、坊主なら危険なこともあるまいと寺に向かうことにした。

ぐらり、と少女の天地がひっくり返ったのは座っていたところから立ち上がろうとしたその時だった。


夢の中で、少女は様々な悪党になった。殺し、犯し、奪い、盗み、裏切り、妬み、傷付け、ぞっとするような残虐非道な人生を送った後、必ず悲惨な末路をたどった。実体験の記憶がわっと入り乱れて押し寄せるようで、少女の身体はきしみ、よじれ、引きちぎられるような痛みに襲われた。


記憶の断片の向こうに、それを静観する人影が見えた。人影は、若いようでもあり、年老いているようでもあった。その人影が少女に向かって手を差しのべようとした時。

「お姉ちゃん!」

弟の声に、はっ、と自分が目を覚ましたことに気付いた。息は荒く、汗びっしょりで、全身ががたがたと震えていた。


それから、自分が板の間に敷かれた固いが確かに清潔な布団に寝かされていることに気付き、自分の気が確かになったことに安堵して大泣きしている弟に気付いた。

「目を覚まされましたかな」

がたついた障子を開けて部屋に入ってきたのは、さきほど街道で声をかけてきた僧侶だった。


聞けば、寺に向かおうとした途端自分が泡を吹いて倒れたので、清洲は気が動転して、寺に走って助けを求めたのだという。それで担ぎ込まれて、僧房の一室に寝ているというわけだった。少女は熱が出ていたし、清洲はまたも安堵と疲れから眠りこけてしまったため、その夜は結局その寺に泊まることになった。


僧たちの見た目はむさ苦しく、寺もぼろぼろだったが、あたたかい粥を食べ、清潔な着物に着替えさせられて、気さくな談笑などを聞いているうちに少女も眠くなってきたので、早々に床につくことになった。

うつらうつらしていると、ミシリ、と床のきしむ音がした。


誰かが手水にでも立ったのかと気にせずにいたら、床のきしむ音は少女の部屋の前でひたりと止んだ。ん、と思っていると、ガタゴトと障子の開く音がする。良く聞けば足音も一人二人のものではない。体を起こそうとすると、今度は体が上手く動かない。そこで初めて、計られたことに気付いた。


そういえば鍋をつついている間、少女の髪の紅いことを誰も口にしなかった。自分も生まれてこのかた奇異の目で見られることに慣れすぎてしまって、髪を隠すことを忘れていた。少女と弟の椀だけ坊主たちとは違うものだった。きっとその中に水に溶ける眠り薬でも盛られていたのかもしれない。


しまった、と思ったときにはもう遅かった。手近なところにあった火かき棒を持ったが手には力が入らない。男たちは少女を囲む。彼らは僧侶などではなかった。身寄りのない子どもをかどわかしては闇の世界に沈める人拐いの一味であった。

人拐いの一人が、少女の髪を手で櫛いて言った。


「この髪なら高く売れる。全く儲けもんだぜ。だがその前に、ひとつまみしても構わんだろう。」

にやにやと男たちが浮かべる下卑た笑いに、さしもの少女もこの後何が起こるか容易に想像がついた。

「大人しくしていれば、向こうの部屋のボウズには手を出さんでやるよ。ん?わかるな?」


一人の男の手が脚に触れた刹那のことである。

少女から一気に怒りが噴出した。そこからは男たちの阿鼻叫喚である。大の男を蹴り飛ばし、胴を打突し、頭を潰し、持っていた火かき棒で胸を突き刺し、空いた腕で首の骨を折った。何事かと駆けつけた他の男たちも殴り殺した。


逃げることに無我夢中だった山の中よりも、よりはっきりと、なにをすれば相手が苦しみ、なにをすれば相手を殺傷せしめるのかわかってしまう、そしてそれを実行できてしまう、そんな自分が恐ろしく、そうなってしまった運命が呪わしくて、哭きながら吼えたが、声は、山の中に虚しく溶けていった。


何度洗っても男たちの血の紅は髪から落ちなかった。むしろより深く妖しいまでの紅さを増しただけだった。

今度こそほっかむりをして髪をしっかり隠し、着物を着替え、有り金を頂戴し、何も知らずすやすやと眠る弟をまた背に負って、忌まわしき古寺に火をつけ、少女は再び南へと旅路についた。