『鬼の子』あらすじ 第二章


翌朝鶴溢は白寿を伴い尚耀の屋形へと戻った。白寿にとっては約一年半ぶりの下界であった。出迎えには尚耀の屋敷中の人間たちがやってきた。一年半ぶりに対峙してみると、白寿には今まで自分がどれだけ乱暴狼藉を働いたのかが身に染みて感じられた。白寿のことを恐れ怯える顔もあった。


「只今帰りました」

その時の白寿はその言葉を捻り出すので精一杯だった。しかし屋敷の者達、特に尚耀にとっては十二分に白寿の気持ちが伝わる言葉であった。その尚耀すらも押し退けて一番に白寿を迎え入れたのは、目付け役の汪葉だった。

白寿の帰省を祝いその夜はささやかな宴が催された。


ところでこの国の名は「鉤」という。北海を眼前に臨む山壁にへばりつくようにして拓かれた国だが、豊かな山林と富んだ水源、また広大な平野と内湾を抱え発展した。国土は四十八に分割され、二王・三公・八家と三十五の豪将によって管轄されている。


二王とは天子と皇后のこと。三公は八家の中でも特に有力な三人が任命される。八家は王家の世氏を筆頭にして、身分の順に允・介・匚・典・常・郎・匍と並んでいる。治領の呼び名は治める者に伴い変わり、

天子:幾、皇后:邑、三公:三華

八家:八郭、三十五豪:三十五閣

と格付けされている。


このうち匚家が治める治領は環均郭といい、環均郭の守備警護にあたるのが環均紅軍である。宴のあと人目を忍んで尚耀と鶴溢を訪ねてきたのは、その環均郭紅軍騎馬隊副隊長の宗翰であった。宗翰は迅濤と同じく尚耀の幼馴染みで、共に鶴溢に学んだ友である。

宗翰は尚耀に助けを求めに来ていた。


宗翰の話を聞く限り、白寿が山籠りしている間にのどかで人の往来の多かった環均郭の様子はがらりと変わっていた。原因は環均郭紅軍内のクーデターである。

環均紅軍には、泰旭という統兵隊長が居た。應揚で人好きがし、軍事的・政治的采配にも長けた人物で、宗翰の師でもあった。


その泰旭が、何者かの調謀により隣郭の豪氏の子を殺害した罪に問われ、その上泰旭本人を含め泰旭の身近な人間の消息が不明だというのである。宗翰は上司の潔白を信じ、せめて共謀の罪に問われている泰旭の細君だけでも問題の渦中から逃れさせてやりたいと、尚耀を頼ってきたのだ。


宗翰曰く、軍内の雰囲気は最悪だという。それまで泰旭の軍才に頼りきっていた環均郭軍は一気に統制を失い、宗翰はじめ泰旭に親しかった者たちは皆大なり小なり立場を危うくされている。泰旭失踪の余波は軍内に止まらず、官庁からの圧力や市井の人々からの反感としても環均郭軍に襲いかかっていた。


尚耀は直ぐに泰旭の両親と妻を匿うよう手筈を整えさせた。泰旭を慕う者達はことごとく軍を追われたが、官僚各位に顔の利く鶴溢の裏働きにより宗翰はなんとか軍に止まることができた。その恩を売り付けられ、宗翰は鶴溢から白寿を預り、行儀を叩き込むよう申し付けられた。


たった三晩の滞在だったが、久し振りの屋敷での生活は白寿にとって大きなものであった。

まず、汪葉は尚耀から任ぜられて、今なお白寿の弟・清洲の行方を探してくれていた。消息は掴めないままだったが、汪葉の心意気の優しさがどことなく白寿には懐かしく心温まるものだった。


また、汪葉は清洲の行方を探すにあたって山のように孤児を拾ってきてしまっていた。その子供たちに、汪葉は白寿のことを弟思いの優しい姉だと語っていたので、子供たちはあっという間に白寿にまとわりつくようになった。「弟にしていたように接すればいいのさ」固くなる白寿に汪葉はそう笑った。


そして、子供たちに翻弄される白寿を見て誰よりも喜んだのは、尚耀だった。尚耀は不穏な空気に包まれる環均郭を嘆きながらも、穏やかな日々が過ぎていく屋敷のことを、白寿をあちこち連れ回して案内した。

「お前も俺も、変化の時にあるのだな」と尚耀は言った。「俺もお前に負けぬよう邁進せねばな」


尚耀は、あれほど嫌っていた政の世界に挑むことにしたのだ。「これだけ子どもが屋敷に増えると、嫁も貰っていないのに父親になった気分だ。この子らのためにも、本家がどうの親父がどうのとは言っておられぬ。環均郭を司る匚家の次期当代として、やることをやらねばならぬよ」


お前は不思議な子だ、と尚耀は白寿に言った。「台風の目のように日常を引っ掻き回したと思ったら、その後にはこんなに沢山の花の蕾を付けてくれた。俺はそれを枯らしてはならぬな」

鶴溢の先見により白寿と宗翰の出立はごく内々に行われた。尚耀はかつて白寿に与えた棍を、鍛え直して渡してくれた。


白寿と宗翰の出立に際し、鶴溢は忠告を与えた。「赤叡師団に気を付けよ。やつらは最近湧いて出てきた烏合の衆の賊徒だが、みな一様に髪を赤く染め、それを仲間の印として各地で悪事働きをしておる。力の付け方が異様に早く、何か得体の知れぬ底力があるぞ。」

この忠告を胸に、二人は一路旅立った。


「赤毛といえば、主も赤毛だな」旅立って早々、宗翰は刀を白寿に突きつけた。「暢気な尚耀やアホの迅濤は欺けても、俺はお前に気を許しはせぬ。鶴溢様に任ぜられた故お前に行儀見習いをさせるが妙な真似をするとその首が飛ぶぞ」

白寿は何も言わなかった。当然の反応だと思った。


宗翰は、のんびりとした尚耀や豪快な迅濤とは全く異なり、冷酷な性格だった。

幕営に着く直前、宗翰は白寿の首に首輪を掛けた。白寿が激怒して大騒ぎすると「お前も所詮獣だな」と鼻で笑い、そのまま軍営の中に引っ立てて行った。「赤叡師団の赤鬼を捉えたぞ!」軍内は一気に騒然となった。


訳が分からず、白寿が大騒ぎしていると、宗翰に手合わせを申し入れられた。宗翰が勝利すれば、白寿は大人しく縄に付くというなんとも勝手なものだった。「言っておくが、俺は鶴溢様の二番弟子だ。迅濤のような情けない試合はせぬぞ」

白寿は完膚無きまでに叩きのめされ、宗翰は賞賛を一身に浴びた。


宗翰が上官らに取り囲まれている間に、白寿は宗翰の幕屋に鎖で繋がれた。周りからの視線が痛かった。間も無く宗翰が帰ってきたが、白寿は解放されなかった。「お前はこれからの軍の水先案内人だ。赤叡師団を殲滅させるための道具になってもらう」

白寿は抗議したが、聞き届けられることはなかった。


翌朝からは再び修行の日々が始まった。人目を避けられる早朝の僅かな時間、宗翰は白寿に武術の稽古を付けた。これは迅濤から体術を学んだのとは全く異なるものだった。宗翰の業は柳のようにしなやかで、つかみ所がなく、それまで学んできたことは全く通用しなかった。「新たに覚えろ」と宗翰は言った。


昼間から夜半にかけては、紅軍に随伴し赤叡師団掃討の一部始終を見届けた。宗翰は間諜を巧みに使い、近辺の賊徒達を雑魚を一網打尽にするように捕らえていった。白寿は、軍内からも、一般市民達からも、果ては見ず知らずの赤叡師団員達からまでも裏切り者として白い目や憎しみの目を向けられた。