『鬼の子』あらすじ 第九章


王宮の奥深くに幽閉された白寿は、この六ヶ月余りの間、静かに鍛練をして過ごしていた。久しぶりに会った人は韋燦公主からの使者で、白寿の処刑の手筈が遂に整ったと知らせるものだった。場所は公主ご婚儀最大の祭り、全国から勇猛な武人を募り行われる武道大会である。白寿はその優勝者と闘うのだ。


尚耀が白寿の処刑に同意したことはせめてもの情けで伝えられなかった。ただ国のために死ね。それだけがお達しであった。

日々は粛々と白寿の最期に向かって進んでいった。

そして、いよいよ公主の婚儀の礼が始まった。人々はみな祭りを喜び、お互いに祝った。軍部は兜の緒を締めた。


婚礼の祭は八日間かけて盛大に執り行われた。祭の目玉である武術大会も七日間かけて予選から決勝戦が行われた。白寿は祭の最終日、厳重な警備の許闘技場の袖にいた。白寿の役目は優勝者と戦わされること、つまり剣闘士に成敗される猛獣になりきることであった。人々の大歓声の中白寿は入場した。


そこに居た者を見て、白寿は愕然とした。

「僕を覚えておいでですか」

忘れようもない。宗翰の軍で小姓として白寿の世話をしてくれたあの盲目の少年であった。

「貴女が赤叡師団の化物を倒した時、僕は雷に撃たれたような衝撃を受けたんです。盲いたはずの目に貴女の姿がはっきり映りました。


「あの時の貴女のなんと猛々しく美しかったことか!僕はその時、いつか貴女をこの手で倒そうと決めたのです」

試合開始の鐘が鳴った。

「僕は今、盲剣と呼ばれているのですよ」

盲剣の斬撃は人のものとは思われない程の重さがあった。白寿は出鼻を挫かれ、棍には重い衝撃が残った。


しかし白寿も防戦一方ではなかった。棍を握り直し、一撃一撃に修行の全てを込めた。それは生死を賭けた殺し合いであった。「殺せ!殺せ!」人々の熱狂も最高潮に達した時、恙蘭率いる仙人の勢団が闘技場を取り囲み舞や唄を披露した。なにも知らない人々はそれを祝賀の宴だと思った。


それは祝賀の宴などではなかった。仙人達の総力を挙げての封魔の儀式であった。白寿の中から西風の魂魄が引き摺り出された。白寿の意識は急速に失われ命が引き裂かれるような激烈な苦痛に襲われた。仙人達はいよいよあらん限りの力を振り絞ったが、白寿の異変に気付いたのは誰でもない盲剣だった。


「邪魔をするなァ!」

なんと、盲剣は咆哮と共に激しい斬気を仙人達目掛けて放ったのだ。寸毫、封魔の印が解けた隙に白寿が見たのは、赤黒くぎらつく盲剣の髪であった。盲剣は西風の魂魄に冒されていたのだ。

「貴女を呪いから解放するのはこの僕なんですよ」

見る間に、盲剣の体は膨れ上がった。


「貴女の邪魔をするものは排除します」

獣と化した盲剣は呆気に取られる会場内の人々に襲い掛かった。それをすんでの所で止めたのは、白寿であった。

鉤国の敵である赤叡師団の大元締めを成敗する勝利の宴は、一瞬で阿鼻叫喚に呑み込まれ、仙人達の封魔の隊列も崩れてしまった。


盲剣は人々を排除せんと、体内から無数の鬼を産んだ。長年西風の魂魄と闘ってきた仙人軍団にとっても盲剣を乗っ取った魂魄は特大の力を持っていた。人々を守ったのは鶴溢率いる仙人団であった。その中には迅濤や宗翰も居た。恙蘭及び汪葉の率いる封魔組も直ちに封陣を組み直し、封魔の術を再開した。


「彼女を縛り付けているのはこの国そのものですね」そう言って盲剣が飛びかかった先は、韋燦公主と淕千公王だった。

どん、という音がした。淕千が恐る恐る目を開けると、そこには。

「なんだ…清洲、お前こんなところに居たのかぁ」

紅色の髪に、紅い瞳。そして、胸からの、真紅。


「勝手にどこかに行ったらいけないって、あれほど言ったじゃないか…」白寿は、韋燦と淕千ーーいや清洲を庇って盲剣の凶刃に胸を貫かれたのだ。ばたばたと零れ落ちる血液。

「嫁さん、大事にするんだぞ」

白寿が少し、目を細めた刹那。白寿の体内から漆黒の濃霧が噴出し、辺りは真っ暗闇に包まれた。


白寿は、闇の中に浮かび、ゆったりと漂った。目を開くと、ちかちかと無数の星が煌めいていて、貫かれた筈の胸の傷は無くなっていた。見渡すと一際明るく輝くところがあったので、そこまで泳いでいった。そこには小さな書斎と、ささやかな庭があり、青年が一人、穏やかな様子で本を読んでいた。


「ここまでよく来たね」青年は穏やかに語りかけた。「僕は西風。君とずっと一緒にいたんだ」

西風は思っていたよりもずっと小柄で華奢な青年であった。昔話をしよう、と、西風は静かに語り始めた。

昔々あるところに一人の神が居た。神には恋人の女神がいたが、人間を救った際命を落としてしまう。


神は女神の死を嘆き、死の原因となった人間たちを素材にして女神の肉体を芯とした人形を作れば女神が生き返るのではないかと試行錯誤を繰り返した。しかしほとんどの人形には命が宿ることはなく、唯一生命が芽生えたものも、女神とは似ても似つかない不具の肉体をもった出来損ないであった。


神は大いに失望し、出来損ないの人形を下界に追放して天地を揺るがす大災害を惹き起こした。それを止めたのは皮肉にも神が作った人形であった。人形に宿った女神の力が、神の暴走を止めたのだ。

世界は平穏を取り戻したが、不具の人形には行く当てもなかった。そこに現れたのは自然界の精霊だった。


精霊の名は、森羅と言った。森羅は、人形を旅に連れ出した。世界のあらゆるところを案内し、沢山の美しい物を見せて回った。人形は少しずつ穏やかな気持ちを持てるようになっていった。

しかしある東方の小さな里で、森羅は人形に突然の別れを告げた。「君が救った世界を学んで」森羅は言い、消えた。


森羅は、自然界が人形に救って貰った感謝を伝える人形の心を癒すためだけに遣わされた存在だった。人形が心の平穏を得た時、森羅は役目を終えて自然に戻ったのだ。しかしその事は人形に悲しみをより深く刻み込む事となってしまった。もう一度森羅に会いたい。人形はその一心に支配されるようになった。


「そこから先にどうなったかは、君も知っているね」西風は静かに言った。神に造られた不具の人形こそ、西風であったのだ。

「僕はもう一度森羅に会うために、人間界に戻らなくてはいけない。僕の力をそのまま引き継げる程の君の肉体、僕に譲ってもらうよ」

気付けば、周囲には嵐が巻き起こっていた。


「ここは君の心の中だけど、残念ながら、君ごとき人の子の精神力では僕の力には敵わない。抵抗しない方が苦しまなくて済むよ」

西風の肉体はみるみる巨大化していき山のような大きさになってしまった。ごおう、という爆音と共に、白寿は巨大な掌で平手打ちにされ、何十里という距離を吹き飛ばされた。


西風は、獅子が鼠を嬲り殺すように、白寿を弄んだ。

「なんて弱い。なんて脆い。こんなもののために僕は創造され、苦しまなければならなかったのか。君もそうだろう?人間の身勝手で、散々苦しめられて来たじゃないか。僕たちのような不具の存在が幸せになれないのは、全て人間のせいなんだよ」


「誰も僕たちを愛さない。君を助けに来る者は居ない。早く降参したら、どう」

白寿は、薄れていく意識の中で、ああそうだな、と思った。このまま西風に精神を譲り渡してもいいかな、とーー。

「……じゅ、ーー白寿!」

聞こえてきたのは、尚耀の声であった。