『鬼の子』あらすじ 第三章


赤叡師団狩りが始まって以来、白寿は度々悪夢に魘されるようになった。夢の主はいつも自分であり、多くの人や生き物を傷付けては悲惨な最期を遂げていた。夢の中は憎悪や娼嫉で溢れていて、激しい体の痛みも伴った。

その夜も白寿が痛みと混乱で夢現に目を覚ますと、そこには宗翰が居て粥を煮ていた。


白寿は紅軍軍営に来て以来鎖で繋がれ筵で寝かされていたが、その夜は柔らかな布団の上で寝ていたようだった。手足に鉄の重みは感じなかった。朦朧とする意識の中で、冷や汗でぐっしょりと濡れた着物を取り替えられ、冷たい水と温かな粥を食べさせてもらった。その時の宗翰は優しげな顔をしていた。


夜が明けると、いつものように筵の上で横になっていたが、確かに着物は着替えた時のものだった。昨夜の宗翰の様子が気になって白寿はその日初めて小姓の少年に話し掛けた。

「宗翰様はいつも貴女の事を想っておいでですよ」少年はそう答えた。「内密の話ですがこうして居るのも全て貴女の為なのです」


彼は宗翰の命により白寿の側に置かれた小姓である。彼は少年兵として従軍していたが、目に傷を負い光を失って以来負傷兵の看護に当たっていた。白寿は宗翰に稽古を付けられる以外は手足の自由を奪われており、少年は甲斐甲斐しく白寿の世話を焼いた。また少年は宗翰の身の回りの手伝いもしていた。


少年の予想によると、白寿が世間に出るにあたってその髪の紅いことが必ず障害になると宗翰は考えた。折りも折、赤叡師団が赤髪を仲間の印として悪事を働いていたので、ただ宗翰の知人として軍に連れて入っては在らぬことを勘ぐる者が出てきただろうし、白寿に害なす者もいたかもしれない。


宗翰が手ずから白寿を打ち負かすことで白寿は軍の管理下にあると皆に知らしめ、賊徒討伐に協力しているよう見せることで白寿への謂れの無い暴力を防ごうとしたのである。その証拠に、宗翰は辛うじて鶴溢に救われた自分の地位をも賭して白寿の安全を上官へ訴えたそうだ。


統兵長官であった泰旭の失踪以降不安定であった軍内の空気を、赤叡師団という分かりやすい敵に向かわせることで安定させ、また白寿を赤叡師団の手先に祭り上げその白寿を捕らえたと宣伝することで自分の軍内での地位を固める抜け目の無さも持ち合わせていた。

「素晴らしいお方ですよ」少年は言った。


その日の語らいから、白寿は宗翰への抵抗を辞め、少年と親しく話すようになった。宗翰との手合わせで習ったことを、少年に教えて二人で稽古をするようにもなった。相変わらず他の隊員達からは忌み嫌われていたが、白寿は気にすることをやめた。

事件が起こったのは、そんな時のことである。


その時もそれまでのように、宗翰率いる環均紅軍は赤叡師団の一派を追っていた。それがある山に差し掛かった途端、白寿が取り乱し始めたのである。「ここから先は行きたくない。この先に連れて行く位ならいっそここで殺せ」しかし賊徒は目前、白寿の我が儘を聞いている場合でもなかった。


無理矢理に白寿を連れ、なんとかその山林一帯をねぐらにしていた山賊を取り押さえると、山賊の捕虜達が白寿を見て口々に「人殺し!」と詰ったのである。

「あんたのせいでこの村はこんなになっちまったんだ!」

「お前がうちの人を殺したんだ!」

「この疫病神!その髪は私の息子の血の呪いだよ!」


事情を聞く暇もなく、白寿は鎖を引き千切りその場から逃げ出してしまった。残された村の人々は興奮していて取りつく島もなかったが、なんとか話を纏めることができた。

白寿はこの村の出身であったが、数年前に村の男達を大勢殺し幼子を一人拐って逃げていたのである。


村の人々によると、もともと白寿の髪は今のように紅くはなかったという。産まれた時から全身が白く、目だけが血の色をしていたのだ。村人達も初めは気味悪がるだけだったが、白寿が生まれてからというものあらゆる災害や疫病に見舞われ、白寿を鬼の子だと信じ家族もろとも迫害するようになったそうだ。


そして白寿の両親が相次いで病死すると、村の男達は棒を持ち鍬を手に白寿を狩ったのだ。白寿はまだ乳飲み子だった弟を抱き抱え、子供のものとは思えない膂力で男達を返り討ちにした。その時生き残った男は「真っ白だった髪の毛が、人を殺して行く間に、紅く染まっていったんだ」と震えながら語った。


その夜は誰も白寿を見付けることが出来なかったが、霧の濃く立った明け方になって、フラフラと幕屋に帰ってきたのを小姓の少年が保護した。

白寿は拳を固く握り締め、押し黙ったまま、大人しく鎖に繋がれた。逃亡の際鉄の塊を腕力だけで引き千切ったことから鎖は何重にも重ねられた。


軍内では再び白寿に対する恐怖が拡がっていき、宗翰も反発の声を抑え切れなくなっていった。捕らえていた山賊の頭が雄叫びと共に化け物へと変化したのは、白寿を殺そうと言う声が最高潮に達したその時であった。

山賊の頭の身体は何倍にも膨れ上がり、全身赤黒い毛で被われ、熊よりも大きくなった。


化物は腕一振りで何人もの人々を殺した。武術の達人である宗翰ですら危うく命を奪われかけたその化物を、仕留めたのは白寿であった。

返り血を浴び、月光に照らされる白寿の髪は、紅さをいや増しに増していた。

「帰りたい」

白寿の口から、ぽつり、と、言葉が漏れた。


白寿は、比較的彼女に同情的であった兵によって尚耀の許へと送り返されることになった。宗翰はそれまでの功績を考慮して軍への残留が決まったが、無期限での謹慎処分は免れなかった。小姓の少年は泣いて白寿を送った。白寿の生まれた村の人々は一人も見送りには来ず、以来白寿と交わることは無かった。


尚耀の屋敷へ戻った白寿は、命の灯が消えたかのように心を閉ざしてしまった。前のように乱暴狼藉を働くことも我が儘を言ったりすることも無くなり、下郎達の手伝いや畑仕事をよくするようになった代わりに、ぼんやりとして、覇気がなく、それまで以上に誰と話すこともなくなった。