鬼の子あらすじ第一章

 

尚耀(しょうよう)が白寿(はくじゅ)と出会ったのは、河のほとりでのことだった。地元の子供たちを相手に一方的な大喧嘩をしている幼い少女の、姿の異様さと豪腕に妙に心惹かれた尚耀が、白寿に食客として家に来ないかと声をかけたのだ。しかし紅い髪に紅い目の、がりがりに痩せた少女はその申し出を固辞しその場を去る。

 

尚耀は、名残惜しく思いながらも本家である実家へと向かった。尚耀は、国内屈指の名家である匚(ほう)家の跡取り息子であった。が、継母や二人の義弟たちはおろか、実父や家臣たちからも疎まれており、国の法である絶対的なお家制度がなければおよそ「家族」と呼べる関係ではなかった。

 

その日は、弟の生辰を祝う席であった。その目出度い席においても、尚耀は馬鹿にされ、揶揄嘲笑の格好の標的となったが、尚耀はそんな境遇に最早心の動揺を感じることはなかった。

尚耀の頭の中は、帰り道ちらりと耳にした、あやかしのことでいっぱいだった。紅い毛で、小柄、目付きの鋭い、あやかし。

 

尚耀の予想は当たっていた。武術師範として軍に勤める昔馴染みの迅濤(しんとう)によれば、巷間噂されていた赤毛のあやかしは、先日川原で出会ったあの少女と特徴が合致していた。

それからというもの尚耀は毎日のように馬を駆り紅い髪の少女を探して回ったが、全て徒労に終わった。それが破られたのは雨の夜だった。

 

紅い髪に紅い目をした件の少女が、尚耀の邸宅に押し掛けてきたのだ。

「弟を還せ」

少女はわめき散らし、子どものそれとは思えない怪力で下郎達を投げ飛ばして暴れた。曰く、少女には清洲(せいしゅう)という弟がいたが、尚耀と会ったあの川原以来姿が見えないというのである。

 

尚耀は少女をなだめすかし、こうなったのもなにかの縁と、きっと弟を探してやると約束し少女を家に置いてやることにした。

そのことが軍の治安部隊に伝わるのに時間はかからなかった。邑郭の治安が脅かされるとして軍は少女の身柄を引き渡すよう尚耀に求めたが、そこは金にものを言わせて黙らせた。

 

しかし尚耀が人脈と金を使って手を尽くしても、少女の弟の行方はわからなかったので、少女は本格的に尚耀の家で小姓として仕えることになった。

少女は、呼び名も無かったため、尚耀によって白寿と名付けられ、尚耀の近衛隊の女隊長である汪葉のもとで生活するようになる。

 

ところが、白寿はとんでもない無法者であることがわかった。

尚耀の宅にいる者たちはみな尚耀が拾ってきた流れ者たちで、脛に傷を持つ者ばかりである。彼らは概ね弟を失くし生まれ故郷もわからない少女に同情していたが、気に入らないことがあるとすぐに暴れまわる白寿に閉口してしまったのだ。

 

白寿の怪力は、十余歳にして耕田用の牛馬すら軽々片手で投げ飛ばす程で、無頼漢で悪名を馳せた尚耀の下郎たちもその悪行を叱ろうとしても手も足も出ないのである。平和だった屋敷の中には直ぐに剣呑な空気が漂い始めた。

その最中を狙って、匚家から尚耀に対する攻撃も酷くなっていった。

 

尚耀が実家から嫌われる理由は、ひとえにその血筋のせいであった。

尚耀は匚家当代である実父・尚達(しょうたつ)とその正妻の間に生まれた嫡子である。しかし尚達は愛妾・陶馬姫(とうばき)に骨抜きにされ、尚耀の母と尚耀をいじめ抜いた。尚耀の母はそれを苦にして狂死。陶馬姫が正妻の座に収まり尚耀は家を追い出された。

 

尚達と陶馬姫の間には間もなく二人の庶子、許達(きょたつ)と呉達(ごたつ)が生まれた。二人は息子達を溺愛し、当然匚家の財産は許達と呉達にと望んだが、強健な法制度によってそれは叶わなかった。

尚耀は幾度となく命を狙われたが、爺やの朱高によってその度救われており、政治的介入もあって命拾いしていた。

 

そういうわけで尚耀は社会のつまはじき者たちに同情と関心を寄せるようになり、自分の屋敷で仕えさせるようになった。そんな尚耀にとってさえ横暴な白寿は繋がれた獣のように見えた。

そこに現れたのが、尚耀の師・鶴溢(かくいつ)である。鶴溢は、白寿の中に武道の才を見、暫く引き取って鍛えることにした。

 

手懐けられない『鬼の子』を引き取ったとして、近隣からの評判も悪くなっていた上に、それを好機と尚耀を貶めようとする本家からの嫌がらせに堪えかねていた尚耀は、鶴溢の申し出をありがたく受け入れた。尚耀は白寿のことを嫌ったのではないとう証しに、上等の棍を白寿のために誂え持たせてやった。

 

鶴溢は白寿を鄙びた山寺に連れてきた。白寿は、自分はもう十分強い、自分に武術なぞ必要ない、と息巻いたが、鶴溢はそれを一笑に伏した。

「ならば儂の三番弟子と闘うてみよ。見事勝利を納めたならばお前の言う通りお前には武術なぞ必要なかろう」

その鶴溢の三番弟子とは、尚耀の友・迅濤であった。

 

白寿は結局、迅濤に微塵も敵わなかった。それどころか、迅濤の襟を取ることすら出来なかった。

なぜか分かるか、と迅濤は説いた。「お前には確かに力がある。しかしお前の強さは力任せなだけだ。それではお前との腕力の差を越える技を持つ者には敵わないのだ」

約束通り白寿は武を学ぶこととなった。

 

迅濤との修行は、ひたすら体を苛め抜くものであった。毎日夜明け前から山を駆け、夜が更けるまで武道を叩き込まれた。食事は獲物を自ら狩り、三日に一度取れれば良かった。迅濤とは毎日組手を取った。迅濤に勝てば武術を辞めていいという約束はまだ修行に得心がいかない白寿の闘争心を煽った。

 

毎日毎日繰り返される体術の稽古は、白寿の我慢を鍛えた。初めはつらい稽古から逃げ出したいという気持ちから闇雲に迅濤に打ち掛かっていた白寿も、武術を身に付けるにつれ徐々に工夫を覚えるようになった。

ある日迅濤は奥山を示し「山に巣食う赤獅子を仕留めて来たら最後の試験をしよう」と言った。

 

その赤獅子は、普通の猪の数倍以上の体躯をし、全身の毛は赤黒く闇夜に紛れ、人里に降りては田畑や家畜を食い荒らしていく厄介な存在であった。百年余年もの寿命を生きているとの噂が立つほどの知恵者で、他の狩人たちを一切寄せ付けていなかった。

「素手でやれ。」迅濤は言った。

 

赤猪を打ち倒した白寿は、鶴溢の立ち会いの下、迅濤と最後の組手を交わす。決着は、迅濤の胸に一筋かすり傷を着けた白寿の勝ちであった。鶴溢曰く「戦場では、一太刀でも受けてはいかんのだ。迅濤は今の一撃でお前に討たれた。お前の勝ちだ」

その夜は、猪肉で汁を食べた。

 

食事の後、迅濤は軍へと帰っていった。白寿はそこで、白寿以上に迅濤は過酷な日々を送っていたことに気付いた。朝晩白寿に稽古を付けながら、昼間は軍の隊長として街の警護にあたっていたのだ。鶴溢は「お前のような者のことを井蛙と言うのだ」と笑った。その夜白寿は信じられない位深い眠りについた。

 

その夜白寿は悪夢を見た。白寿は夢の中で、あらゆる時代のあらゆる人間になった。そのいずれも、大なり小なりの悪事を犯し、罪を咎められ、罪のために、悲惨な死に方をした。それは夢の中のものとは思えない程の精神的・肉体的苦痛を白寿に与えたが、夢から醒めたときにはすっかり忘れていた。