世界観の記録・現代編

 

現代編ではもう「魔法」は存在しておらず「科学」に取って代わられます。誰かの名言でありました、「科学のような魔法を。魔法のような科学を!」そんな感じですね。

 

そして現代編で「科学」と並んでキーワードになってくるのが「平行世界」の考え方です。

 

 

 

平行世界は、パラレルワールドという言葉でよく知られているソレです。それの説明として自分の中でも最もしっくりきているのが漫画『パタリロ!』の中で語られていたそれ。うろ覚えで丸パクりさせていただくと、

 

「この世は多彩な『世界』が幾重にも重なった巨大な本でできていると考えてください。そのうちの一頁が、我々が住んでいる『世界』です。その隣の頁はたとえばあなたの靴下の色だけが違う『世界』が広がっており、またその隣の頁は靴下とネクタイの色が違う『世界』が広がっている…。ゆえに近隣の頁では世界法則に大きな差異はないけれど、離れれば離れるほどとんでもない世界が広がっている。世に言う異世界転生モノ、というのはこの遠く離れた世界に何かの拍子にワープしてしまうことを指すのでしょう。」

 

これをほとんど丸パクりしたのがハルコ創作での「平行世界」です。

 

ただし、お隣のページが必ずしも我々の世界と近似の法則で成り立っている世界だとは考えないのがハルコ創作です。ヒトの世界と隣り合っているのは「上のひとたち」の世界と「下のひとたち」の世界。我々が魔法と呼んでいるのは世界法則が異なるこの「上のひとたち」や「下のひとたち」が当たり前のように使っている能力またはその「残り香」のことです。

 

 

 

たとえば、『桃太郎』。これは現代に入れるかどうか微妙なところの16世紀~17世紀くらいの日本、つまり『桃太郎』というお伽噺が生まれたとされる安土桃山時代~江戸時代を想定し、さらに桃太郎の出自として若干中国の『西遊記』の世界観をミックスしているお話です。

 

桃から生まれた桃太郎。なんで桃やねん。なんで鬼退治するねん。お前なんでやねん。

 

っていう素朴な疑問が始まりで、ヒトが生まれるような不思議な桃はどこに生えている?→桃源郷?→そういや『西遊記』で石に封じられる前の孫悟空が天上界で、一口かじるごとに寿命が千年ずつ(だったかな?)伸びていく仙桃を食い散らかすシーンがあったな。→そんな桃が生えてるならヒトが生まれる不思議な桃が生えててもおかしくないな。→よし、出身地は天上界、鬼退治は天帝から下された天命ってことにしよう、決定!、っていうヌルいノリで桃太郎のプロフィールが決まりました。

 

といってこれは此岸における魔法ではなく、「下界」があって「天上界」がある、つまりパラレルワールドの考え方に当てはまるな、というかんじ。天上界に済む生き物、我々が呼ぶところの「カミ」は我々とは違う世界法則の中で生きてるから羽衣で飛んでみたり雲に乗ってみたりが当たり前なだけなんだと。だから「下界」に生きるヒトたちは「魔法」を使うことはできません。生きる法則が違う「天上人」が「下界」にやってきて鬼を造ってみたり桃太郎をどんぶらこっこさせてみたりするお話です。

 

この「天上人」が「上のひとたち」、「下界の者ども」が我々です。

 

 

 

また、『アケミの姐さん』のお話は「下界」「天上界」のみならず「魔界」も出てくる現代の日本を舞台にした陰陽師ファンタジー。これはもう日本とかそういうもんじゃなくて、「上のページ」「下のページ」で飽き足らなくなった「上のひとたち」と「下の人たち」が我々人間が住む「間のページ」で陣地取り合戦をし始めたので、世界中のエクソシスト達が必死に防衛するというお話です。

 

「上のひとたち」は羽が生えてたりやたらとキラキラ雅やかだったりしたので天使だの天女だの妖精だのといった「善きモノ」として呼ばれてきた一方、「下のひとたち」は一見容姿が醜悪だったりやたらと匂ったりいたずら好きだったりしたので妖怪だの悪魔だのといった「悪しきモノ」として呼ばれてきました。が、聖書や古事記や伝説やお伽噺を読んでわかるとおり、妖精が必ず良いことをするとは限らず、妖怪が必ず人間に害をなすとは限りません。

 

「上の世界」と「下の世界」のごく一部の極進派達が勝手に戦争をおっぱじめて上・中・下の世界のひとびとの多くが困ってる。そこで「アッシのシマでなにやっとんじゃい」と立ち上がるのがアケミの姐さんなんですね。

 

(ちなみにアケミの姐さんの正体は神代の時代からおわします八咫烏で、「下のページ」出身です。姐さんとなった今では神様仏様妖怪様の総元締めですからね。めちゃツヨです。)

 

 

 

では、なぜこの平行世界の行き来が可能なのでしょう?それは『東京魔窟伝』で明らかになります。

 

有り体に言っちゃえば、「紙魚」のせいです。紙魚は本に巣くい紙を食べる虫ですが、平行世界を本にたとえるのならば世界というページに穴を開けちゃう虫くらいいるだろうと安直に考えました。『桃太郎』や『アケミ』で見られるように我々の世界には多くの「ヒトならざるもの」が自由に出入りしているようです。それはこの近接する三ページの世界が、たとえるなら読みかけの漫画にチョコレートのかすや米粒を挟んだままほったらかしにしてたらくっついちゃって取れなくなった、そんな感じで「くっついちゃってる」状態だから紙魚も紙を食い放題、人も上のひとたちも下のひとたちも出入りし放題なわけです。

 

(人間もよく神隠しに遭ったりUFOに攫われては帰ってきたり地獄往きにされたりするじゃないですか、あれです、あれ。あと空から局地的に魚が大量に降ってくるファフロツキー現象とかね。)

 

『魔窟伝』は『アケミ』と同じく現代日本を舞台にしていますが、主人公の竜司は冒頭から紙魚が『世界』という書物に開けた特大且つ一方通行の穴に落っこちて、現代日本に似ているけれど全然世界法則が異なる世界に飛んでしまう、いわゆる異世界転生ってやつをしてしまい、不思議な力を手にすることになります。

 

『魔窟伝』の世界で特徴的なのは、中二病を患ったことのある人なら誰でも憧れる、「自分だけの異形の相棒」を、一般市民が割と簡単に手に入れることができる点です。これは竜司が落っこちた「紙魚の穴」が格別に古く且つ紙魚が現在も頻繁に通過する要所である事に起因します。

 

昔々から『魔窟伝』の世界のひとたちは、「向こう側からやってくる人びと」を受け入れ、共存してきました。『魔窟伝』の世界で科学が発展するとともに、そうした「向こう側からやってきた人びと」が同じ「地球」という惑星に居住していたこと、ある日突然「こちら側」に来た点が共通していることなどを発見し、「向こう側からやってきた人びと」をあらゆる面から研究したところ、共通して特異的な身体的特徴があることを突き止め、長い年月をかけて今では商業利用できるまでに普及させたのです。

 

そうしてタトゥーを彫るように、「人生でこの手術は一回こっきり。一生の付き合いになるけれども貴方だけの特別な相棒を手に入れることができますよ、」という謳い文句で炎だの風だの獣だのといった精霊を人間の手中に収めるようになりました。まさに「魔法のような科学を!」ですね。

 

この辺の倫理だとか是非だとかはHPに載せてるボツにしたプロットになんとなく書いてあるのでそちらもご参照ください(めちゃくちゃダイマ